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平沼赳夫"警鐘塾"復帰メッセージ…復党問題と脳梗塞の舞台裏を語る
2007 / 10 / 19 ( Fri )
hiranumafukkia.jpg※写真クリックで別ウィンドウで動画が流れます。

平沼赳夫"警鐘塾"復帰メッセージ…復党問題と脳梗塞の舞台裏を語る

今週(10/19)号の超人大陸内コンテンツ「平沼赳夫の警鐘塾」で、平沼赳夫議員が5ヶ月ぶり、記者会見の動画を除くと約11ヶ月ぶりの復帰を果たしました。
言葉はかすれ気味でありながら、5月の記者会見に比べると遥かに回復しており、視聴者・支持者へのメッセージと共に復党問題及び脳梗塞の舞台裏について語っています。

以下、復帰メッセージ「声はかすれても…」の全文と、その前の5月の記者会見の全文をご紹介します。各写真をクリックすると動画にもリンクしていますので、ぜひご覧ください。



11ヶ月ぶりに再開をさせて頂きます(警鐘塾のこと)。
私の不覚で病に倒れまして、大変ご迷惑ご心配をおかけ致しまして、誠に申し訳ございませんでした。

昨年になりますけれども、12月6日の日に私を含めて無所属で2年前の選挙に当選した無所属議員がおりました。自民党の方は無所属で当選した議員というのは後援会がそれぞれしっかりしてるから、先の参議院選挙までには復帰をしてもらおうと、こういうことで党から実は働きかけがありました。
皆さんが「お前が窓口をやってくれ」とこういうことで、 私は窓口を仰せつかりました。私自身は自民党に積極的に戻ろうという気持ちはなかったわけでありますけれども、無所属当選組が「お前が当選回数から言っても、また人的な繋がりから言っても適任だから、窓口をやれ」とこういうことで、中川秀直幹事長と交渉が始まったわけであります。

都合12回程会談を致しました。
面白い話がありまして、自民党というのは、内々に実は我々に復帰を働きかける話し合いをしたそうであります。今は引退されましたけれども当時の安倍総理大臣、森元総理大臣、参議院の会長である青木参議院会長、そして党の要役である幹事長である中川秀直幹事長、この4人で事前に会談をしたそうです。
そこで出た結論は、12人の無所属組は条件を一切付さずに戻そう、こういうことで4人が衆議一決したそうであります。

永田町は不思議な世界と申しましたけれども、そのニュースは交渉役の私にも入ってきておりました。
第1回目、中川秀直幹事長と話をした時に、私はメンバーの了解を頂いて、「我々は当選してるからいい、しかし無所属で落選をした人たちの苦しみは塗炭の苦しみという言葉がありますけれども、大変な苦しみを味わっておられるから、まずその人たちの復帰を私から頼むけれどどうだ」と言いましたら、11人の皆さん方も「それはあなたのおっしゃる通りだ」と、「それをまずやってくれ」と、こういうことで、中川秀直幹事長との第1回目の会談の時に、私はまず最初にそのことをぶつけました。

そうしましたら、中川幹事長はお立場もあったんでしょう、
「あくまでも当選をした現役から考えたい」という形で無所属で落選した方々のことはいとも簡単に退けられてしまいました。そして幹事長は、4人の方々の話し合いと違いまして、いきなり「誓約書に署名してほしい。これが条件だ」とこういうことでありました。
交渉役の私は、これで自分自身の復帰はないな、と。しかし、みんなから任されたから、最後まで交渉しようと、こういうことで交渉を致しました。

で、昨年の12月27日にいよいよ最後のつめを行うということで、私の事務所の会議室に11名の方々全部集まって頂き、私も加わって12名で最後の会談を致しました。
私は復党申請を出す気持ちもありませんでしたけども、11名の方々が「袖触れ合うも多少の縁だから、復党届けは出してほしい」と、付き合いというのも大事ですから、「じゃあそれだったらそれは書きましょう」と。
「しかし、誓約書に関しては、何が何でも私は書く意思はない」。

誓約書のことに関して申し上げると、誓約書というのは議会制民主主義政党政治に相反するないようになってます。私は議員が辞職するというのは、第1に有権者が決めることだと思います。2番目は、本人の意思で議員を辞めるということだと思います。
今、年間100本から150本、膨大な法律案が出てきます。国会には。そして、自由民主党はその大半に党議拘束をかけます。誓約書の内容というのは、その党議拘束に相反するような行動をとった時には、議員を辞職すると書いてあります。これは、私の民主政治に対する考え方と真っ向から違うことなんで、誓約書には私は絶対にサインはできない、こういうことで皆さん方に申し上げました。

私以外の11名の方々は、誓約書にサインを致しました。結果的には、私を除く11人の方々が自由民主党に復帰をすることができました。
私だけは、誓約書にサインをしないと、こういうことで復帰はできなかったわけであります。
12月6日に話を戻しますと、私が窓口を仰せつかって私以外の11人が復党ができた、これはお祝いをしてあげなきゃいけないということで、料理屋さんを借り切りまして、皆さん方にお出でを頂きました。
私が主催者ですから、私が音頭をとって「皆さん復党おめでとう、乾杯!!」という音頭を私がとりました。
…音頭をとった途端に、私の病気の脳梗塞が起こったんでしょう。地球中がぐるぐるぐるぐる回りだしちゃったわけです。

私の身体は、「その場に倒れたら楽だろうな」と思ったわけですけども、私は主催者ですから、無様なことは見せられないと、そういうことで、畳に手をついて、40分私は頑張りました。他の皆さんは私にも気がつかずに話しかけてこられました。そういう皆さん方にも返事をしておりましたけれども、とにかく体全体で横になりたいという気持ちだったんですけれども、40分頑張りましたら周りの代議士の人たちが「あなたちょっとどこかおかしいんじゃないの。脂汗かいてるよ」と。それから「顔色が悪い、隣の部屋で養生したらどうだね」そういうことでですね、隣の部屋に参りました。

まあ脳梗塞というのは今新薬が出ておりますから、早い手当というのが肝要のようですけども、私は40分頑張ってしまった。
また、自民党復帰のお祝いパーティーだというんで料理屋の玄関に新聞記者の皆さんがたくさん来てる。救急車を呼びたいんですけれども、それも政治家という立場でできません。迎えの車が来るのがまた40分かかりました。
結果的には新薬というものが私に投与することができない、手術はしませんでしたけれども、それまで26年間代議士をやっておりましたが、病気ひとつしない男でした。したがって、2ヶ月半入院を致しまして、小脳がやられたもんですから、右に麻痺が来まして、声もろくろく出ない、まっすぎ歩けないとこういう状況でした。

声も今お届けしているところまでは回復してきました。後は時間との勝負ですから、必ず近いうちに元の声になると思いますけれども、後は元気になりました。
私はスピーチも3月の下旬から、最初は6分間しかできませんでした。今はお蔭様で1時間演説をすることができるようになりました。
声がまだ100%回復しておりませんけれども、国会も今年の5月10日から本会議に復帰を致しまして、議員連盟の会長もたくさんやっております。
まあそういった仕事をですね、前向きにつとめることができておりまして、これも皆様方のお蔭だと思っております。

政治家っていうのはやはり健康が第一であります。普通は政治家が病気になりますと、隠すわけでありますけれども、私は後援会の幹事長にお願いをして、全部のマスコミに集まって頂いて、平沼赳夫は脳梗塞で倒れたということを発表させて頂きました。
政治家が風邪を引くと肺炎だとこういう世界ですけれども、やはり正直に有権者、国民の皆様にお知らせすることが私は大切なことだと、こういうことで発表させて頂きました。

健康も回復して参りましたので、これからも皆様方のご期待にお応えすべく、平沼赳夫一生懸命に頑張って参ることをお誓いを申し上げまして、再開の第一号のお話とさせて頂きます。
ご清聴本当にありがとうございました。



■5/10記者会見
hiranumafukkib.jpg※写真クリックで別ウィンドウで動画が流れます。

皆様ご苦労様でございます
リハビリ中で声が割れているのですけども
昨年度の12月6日に復党組11名のお祝い会を私が主催して
乾杯の音頭をとっている時にテーブルの皿小鉢がぐるぐる回り出しまして
その時に脳梗塞が起こってたと思います
12月6日に広尾にあります日赤病院に入院をしまして
2月22日に退院しましたけども
2ヵ月半時間を要しました
現在は一般の患者さんに混じって
手と足と、手と足はほぼ回復して大丈夫なのですが
声のリハビリを続けております
体調が回復しましたので、今日の本会議から現役復帰をしようと思っております
ご質問があったら何でも聞いてください

Q1
12月6日からの5ヶ月間というのはどういう思いでしたか?


まあ色々ありましたけど
一日も早く復帰しなきゃいかんという思いが強かったですね
それからもう一つは
6月22日で代議士27年目に入るんですが
26年間ほとんど立ち止まって考えるということをしないで多分に直感に左右されて行動してきました
この五ヶ月間はゆっくり物事を見ることができたので
そういう面からも意欲がわいてきた
そんな感想を持っております

それから26年間非常に健康に推移してきましたけども
健康のありがたみというのを痛感しました
これからは人生80年の時代ですから
注意しながら元気にやっていきたいと思っています

Q2
当面の課題・活動についての所感をお願いします


代議士27年目に入ろうとしていると色々な仕事があります
ですから代議士として出てきた法案には是は是、非は非という形を明確にして望んでいきたい
これが第一です
それから拉致議連の会長ですとか日本会議議員懇談会の会長とか
議員連の会長をしておりますので
議員連の会長としての活動も休息していましたけど
党首の皆様方と手を合わせて再開をしてがんばっていきたいと思っています

Q3
引退の文字が頭をよぎったことはありましたか?


本会議というのを大切にしてきましたが
本会議の開催日には出席したいと常に思っていました
委員会に関しては無所属になったせいで
憲法に関わる委員会だとか教育基本法に関わる委員会というのはなかったわけですから
そういう意味では委員会に関するオプリケーション(義務)の価値はなかった

Q4
現時点での自公政権への評価と参院選での岡山選挙区へのスタンスをお聞かせください


是は是、非は非というのを申し上げたのですが
皆さんご承知のように私は無所属議員でありながら保守政治家です
したがって保守に照らして是は是、非は非という座標軸で
法案に関しても政治行動にしてもとっていきたい
そういう意味での是は是、非は非です

もう一つこの夏の参議院選挙について
昨年の春に私は今までの行きがかり上から、自民党の候補者である片山虎之助氏を応援するということを表明しております
因縁話になりますけども、私が県連会長の時に片山さんの選挙があって、私が県連会長として采配をして当選してもらったという経緯がありま す
保守政治家という立場がありますので、選択肢として片山虎之助氏しかないかと昨年標榜して後援会の幹部の皆さんにもそのことをお伝え してありますので、
この既定路線で今後アコード(一致)していきたいと思っています

Q5
今現在の復党への考えをお聞かせください


色んな政党から誘いがありましたがあったことは事実ですけども
私は26年間自民党の代議士をしてきました
特に自民党が下野した時の全国組織委員長として大変な苦労がありましたが
自民党を出ないで全国を行脚し何とか自民党の復権を志してきたという立場がありますから
自民党へ戻りたいという気持ちは十分強いわけです
しかし前回の復党の時に私一人が外れたというのは
ああいう屈辱的な誓約書というものに関しては政治家としての心情として絶対許すことができない
ですから自民党復党というのは私の行動の検定ではありますけども
再びああいう誓約書を書くということであれば無所属を貫いた方がいいのではと思っています

Q6
地元支援者への一言と、地元で予定されていた新春懇談会の延期についてお聞かせください


私が無所属という立場を貫いてこれたのも地元の支援者のおかげです
刺客が立てられましたが4万票を超える差、9万9930票という得票で 9期当選を果たすことができた
これは本当に地元の皆さん方のおかげです
私が党を離党して無所属になった時に、旧岡山第3区では41市町村がありました
その41に自民党支部を作って私が支部長をしておりましたが
41の方々が41に平沼赳夫後援会を作ってやるということで
去年の2月から7月くらいまでかかりましたが、41の後援会を結成していただきました
このことは感謝しようのないくらい嬉しいことであり
地元の皆様には私の我侭を許していただき、なおかつ支援をしてくださっている
感謝の言葉以外ありません

新年会のことについては
毎年1月にその地区地区の方々に集まっていただいて盛大な新年会を開かせていただきましたが
今回は入院中で開催ができなかった
そこで皆様方のご了解を頂いて6月3日に開催することになりました
6月20日に私の本も出ますので、6月3日に皆様方に読んでいただこうと思っております

Q7
現在の安部政権の評価は?


最初の頃は、小泉さんの足跡を踏襲するという意味で、小泉色が相当強く出ました
ですから保守政治家として靖国神社参拝に関してもお参りするともしないとも明確にしないということは非常に不満でしたけれども
最近の内閣支持率が回復してきたということ、これが裏打ちしてると思いますが
憲法の問題でも、国民投票法案、あるいは教育基本法改正等、安部色が出てきたなと
それは評価していることです

小脳がやられるとこう麻痺が残って、喋っていると唾液がたまってくるんです
気管支でちょっとうるさいんですね
これはやっぱり半年以上経たないと治らないというものなので
大変お聞き苦しいと思いますがお許しを頂きたいと思います

Q8
頂いた激励の声へのお気持ちと、今日という日のお気持ちについて、声のことについてお聞かせください


地元の皆様方に大変心配をかけて、メールや手紙、激励を随分頂きました
それには本当に心から感謝するしかないと思っています
またインターネットの時代ですから、地元のみならず北海道から沖縄まで大変膨大な激励のメッセージを頂きました
このことにも感謝をしなければならないと思っています

声の問題ですが、最初は本当にかすれ声で皆様方が聞き取れないようなものでした
脳梗塞で小脳をやられた場合時間との勝負という面があり、ようやく地声が混じった声が出るようになってきました
歩行については右の小脳の4分の一がやられましたから右に麻痺が起こりまして、
歩いてても右が踏ん張れませんから、右に右にとられるんです
それが今はほぼ払拭できるようになりました
一番苦労したのは階段の上り下りです
階段を上るよりも降りる方が恐怖感がありましたね
今は連続20回 階段を上り下りしても大丈夫になりました
ですから時間との勝負でリハビリをしっかりやれば段々回復していきます
声も段々地声に近づいてきましたので来月くらいからは随分状態に・・・
リハビリの先生もそういう所見を述べております
最初はドレミファソラシドが全く言えなかったですね
歌が全く歌えなかった
今は亀井静香さんばりには歌えるようになりました。そんな感じですね

Q9
復党の時期について


まあ参議院選挙が終わった後でしょうね
最初復党するという時は条件がなかったんです
それが世論などがありハードルが高くなりました
だから私は接触の過程で「復党はできない」と腹を決めていました
でも私以外の人は誓約書を書いても復党したいという思いが強かったのかな

Q10
落選した議員について


最初からそれはぶつけましたね
私のほうは当選させて頂いているからいいわけですが、
落選された人達というのは私も皆知っていますが、非常に政治家として優秀でよく勉強しているし座標軸のしっかりしている人達
そういう人達が塗炭の苦しみを味わっているから
最初に幹事長と話をした時に私は
「私達は当選してるからいいけれども、まず落選中の者を復党させてほしい」と言いましたが否定されてしまいましたね

Q11
にも拘らず衛藤晟一氏が先日復党されたという矛盾について


彼は誓約書を書きましたね
それが時代の時局の中の変化だったのでは

Q12
現在の体重と食事について


食事は何を食べてもいいとのことです
お酒もビールだったらコップ1~2杯はいい
ぶどう酒もグラス1杯くらいだったらいい、ということになっています
食事は全く制限なしに頂いています
体重は、倒れる前は典型的なメタボリックシンドロームだったんですね
78.5kgありました
それが今69.5kgですから、9kgくらい、時によっては10kg近く減量してます
身長が175cmですから今が理想体重じゃないかと思ってます

Q13
将来的な政治目標について


永田町というのは恐ろしくて、期間中代議士の方から毛筆で手紙を頂いてました
不思議に寝てると情報がどんどん入ってくるんですね
そうすると平沼再起不能だとか、政治生命は終わっただとか、
酷いのは、東京の病院を引き払って霊柩車に乗って岡山の病院に移ったなんて
まあそんな噂が駆け巡ってたわけです
悲しいことだと思いました
しかし5ヶ月間ジッとしてると意欲がわいてきましてね
本当の保守政治家として残っている政治生活を全うしていきたい
今度の6月20日に出す本というのはあえて武士道という名前を表題にくっつけましたけど
日本人が培ってきた価値観というのは今失ってきちゃっているから
政治の世界でもメリハリのあるそういう精神は、これからのあらゆる事象に対応していきたいなと思っています

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