1994年ゲームクリエイター達の言葉(2)/岩田聡、糸井重里、宮岡寛(みや王)
2007 / 07 / 20 ( Fri ) ◆バックナンバー
・「1994年ゲームクリエイター達の言葉(1)/堀井雄二、坂口博信、宮本茂」 ・「1994年ゲームクリエイター達の言葉(3)/すぎやまこういち、植松伸夫、内藤寛、靄沢秀二 ![]() 1994年発行の「ゲームデザイナー入門」という本で、当時活躍していたゲームクリエイター達のインタビューが多数収録されていました。ハードやプログラムは変わっても、「ゲーム作り」という根底の部分では変わらないものがあるお話、当時ならではのお話がここにはあります。 今回はその中から、当時HAL研究所社長・現任天堂社長の岩田聡さん、MOTHERシリーズでゲーム作りに挑戦した糸井重里さん、メタルマックスシリーズ生みの親で「ファミコン神拳の"みや王"」こと宮岡寛さんのインタビューをご紹介します。 ![]() ■岩田聡さん ・高校生の時に16万円の電卓を買いました はじめてコンピュータに触ったのは、まだ中学生で北海道にいた頃でしたね。札幌の地下で電電公社が電話回線を使ったコンピュータの時間貸しのデモをやっていたんです。毎週日曜日ごとに行って、「ゲーム31」という単純な数字取りゲームを勝つまでやっていましたよ。 当時はまだマイクロコンピュータという言葉もなければ、パソコンという言葉もありませんでした。 それから高校生になってアルバイトをして、当時16万円くらいしたヒューレットパッカード社製の電卓を買いました。磁気カードリーダーがついていて、簡単なプログラムが組めるやつでしたね。その頃からコンピュータを勉強するんだって決めていましたから、大学での勉強はあまり役には立っていませんよ。 で、大学三年の時、仲良くなった人たちが作ったHAL研究所に入ったんです。マンションの一室で、私を入れて5人の小さな会社でした。 その後任天堂さんがファミコンを出された時に、私も驚いて、すごく面白そうだと思ったんです。それでつてをたどって、ゲームを作らせてもらったんです。 任天堂さんがお出しになっているゴルフゲームは、全部私が関っていると言ってもいいでしょうね。あとは「星のカービィ」にもだいぶ参加しましたね。 ・プログラマーは水道の蛇口。大きい蛇口だとたくさんの水が流れる プログラムの開発というのは、たいていの場合予定通りには終わらないものなんですよ。でも、ほとんどの会社は広告とか予算の問題で、満足に作れていない状態でも発売日をずらせないので、そのままあきらめて出してしまいます。本当ならいいものができるまで出しちゃいけないものなんですね。結局は自殺行為になりますからね。 ただ我々はプロなので、限られた時間の中で、できることとできないことを考えます。考えてもその時間の中でできないのなら、どうやったらオリジナルのアイディアに影響を与えないですむかを考えます。善後策を考えるのが必要なんですよ。 プログラマーは水道の蛇口なんです。大きい蛇口だとたくさんの水が流れますが、小さな蛇口だと水は少ししか流れませんよね。企画とか、グラフィックとか、シナリオとか、音楽とか……。どれだけいいアイディアがあっても、プログラマーができませんと言うと、もうできなくなってしまうんですよ。蛇口が小さいわけですね。 企画の人たちにハードの制約を感じさせずにいい仕事をしてもらうのがプログラマーなんです。 私はプログラマーには、「できない」と言う前に考えなさいと言うんですよ。本当にできないことなんて、そんなにないんです。 ・仕様書通りにやればおしまいじゃないのがゲーム 最近、ゲームデザイナーが偉くてプログラマーが格下だということが言われてますね。それは歪んだ考え方だと思いますよ。お互いがいなくては、何も作れないわけですよね。 どんなに優れたゲームの企画やアイディアでも、プログラムがしっかりしていないと、お客さんが触って気持ちのいいものにはならないということなんです。そこに誇りを持ってほしいんです。 うちの会社でプログラマーを採用する場合、好奇心、向上心の有無、自分がやりたいことのために他のことを犠牲にできるか。それに集中力の高さがポイントになりますね。 C言語とかアセンブラができるかどうかで採用を決めるというのは、間違っていると思いますよ。テレビゲームの世界なんて、10年前はドンキーコングが家のTVでできるとか言ってたわけじゃないですか。今の技術的な知識は、これから10年先には役に立たなくなってしまうんですよ。その一方、明日から戦力になる人がほしいとも思うんですけどね(笑) ビジネスソフトの世界では、仕様が変わるということは契約が変わるということで、当然別料金を頂きます、というのが普通なんです。でも、ゲームの世界では任天堂さんなど、仕様を変えることなんて屁とも思ってませんからね。 たとえ仕様書通りでも、誰かがつまらないって言ったらおしまいなんだ。そんな有無を言わせないパワーがありますよ。 だから、プログラマーで修正とか変更を嫌がる人は大成しませんね。変更を嫌がるようなら、ゲームの仕事はやめた方がいいですね。 ・武器を持て、そしてそれを高める努力を続けろ ゲームデザイナーを目指そうと思う人は、何か武器を持っておくことです。まず目の前にいる人にこのゲームは面白いんだと説得させる武器ですよね。絵が得意な人は絵を使って企画を表現できます。 他にも、人より文章が書ける。人より突拍子もないことを考えつける。人よりプログラムが組める。人が解けないパズルが解ける。何でもいいです。 ただ、それだけではいけません。私は才能というのは継続して努力できる力のことかなと思うんですよ。「すごい!」と言われる人は、そんな積み重ねを辛いと思わずにやれる人なんです。 自分の才能を常に高める努力を続けている人が作り手に回れるんだと思いますね。 「カービィ」をデザインしたのは、うちでも一番若い22才のやつなんです。彼には、どんなに作るのが大変でもいいから、面白いと思うアイディアを出してくれって言ったんですよ。作るのが大変なのはこっちでなんとかするからってね。 でも、それなりに苦労したら、ユーザーに受け入れられた時に報われますからね。自分の作ったものが自分の目の前で売れていったら、どんなに辛くてもやめられないですよ。 ※岩田氏、当時HAL研究所代表取締役社長。現在は任天堂の社長です。 ![]() ■糸井重里さん ・任天堂からの帰り道、涙が出そうになりました 喫茶店に行った時、自分の作った歌が有線で流れていたら気持ちがいいだろうな。それがぼくが歌の作詞をしたきっかけでした ゲームを作ったきっかけも同じです。まず「ドラクエ」にハマったんです。それで最後のエンドロールに出てくるスタッフの名前の中に、自分も入ってみたいと思ったんです。 どうやってゲームを作るのかは知らなかったんですけど、自分だったらこういったこともできる、こんな話もできると考えているうちに、メモをとりはじめました。こんなゲームを誰か作ってくれないかな?こんなゲームがあったら自分でプレイしたいのにと思ったんですよ。 そんな時、別の用事で任天堂に行くことになったんです。それでその前日に、今まで書いたゲームの構想(「MOTHER」ですけど)をまとめて持っていきました。 任天堂の人たちとクラブ活動みたいにゲームが作れたらいいなと、雑に思ってたんですね。まるで草野球やってるやつが巨人の入団テストを受けに行ったようなもんですよね。 ぼくはよそで名前のある人間でしょ。任天堂でアイディアを話すと、営業や総務の人たちは「なるほど!」なんてことを言ってくれるわけですよ。 ところが開発の宮本茂さん!彼が一番冷たいんですよね。 「ここまでのアイディアなら、あるんですよね。いくつかは新しいものもあるみたいだけど、この程度じゃなんでもないですよ。」 そんなことを遠回しに言うんです。 ぼくは勝手に「おお!糸井さん、これは素晴らしい!」と言われるかもなんて思っていたのに、それでしょ?帰りの新幹線では涙がにじみそうでしたよ(笑)。 ぼくは宮本さんの言葉の意味をわかっていなかったんですね。ゲームを作るなら、そこから始まる難しさを最後まで引き受けなければならない。 任天堂の社内でどういう経過があったのかは知りません。その後チームを紹介されて、「MOTHER」のプロジェクトが始まったわけです。 まあ、ラッキーだったということですね。でも、それからの大変さを考えると、本当はラッキーだったのかそれともアンラッキーだったのかはわからないけど……(笑) ぼくはプロデューサーとしても動けるので、敵のデザインは南伸坊さんにとか、音楽は鈴木慶一さんにとか、色んなスタッフも集めました。ぼくの中にはプロデューサーの糸井と、それに言葉を作るコピーライターの糸井がいるんです。 コピーライターの糸井が書いているところに糸井プロデューサーが来て、「これじゃなあ・…」なんて注文をつけたりしてます。だから2回働いているのかもしれませんね(笑) ・RPGのセリフは耳で聞く言葉。だから漢字は使わない。 「MOTHER」にはフライングマンというのが出てきます。役に立つから仲間に入れて連れて行く。でも戦っていると死んでしまう。ひとり死ぬと、お墓がひとつ建っていく。イヤでしょ?そういうイヤさがぼくは好きなんですよ(笑)。 映画をそのままゲームにしたらつまらないよね。ぼくは、ゲームでしかできないことをプレイヤーに体験させたいんです。イエスかノーがあるとすれば、「イエスを選んでいいのか。おれは悪魔じゃないのか」と、自分を疑うようなゲームを作りたいですね。 「おまえはどう生きるのか」。ゲームとはいえ、そんなダンディズムを貫くことはできるはずです。それは色んな場面で問われていくんですよね。 今のハードであれば、ゲームに漢字を使うことも簡単にできます。でも、今度の「MOTHER2」では漢字は入れません。 これはぼくのRPGに対する直感みたいなものだけど、RPGの言葉って耳で聞く言葉なんです。耳では音を聞きます。ぼくはプレイヤーに音読させたい。だから、目で見る漢字があるとズレが出る。耳で聞く言葉だから、わかりにくいことがあったとしても、それでいいと思ってます。 ハードの進歩を考えてゲームを作るのは貧しい発想だね。映画の世界で言えば、今でも昔ながらのモノクロ映画を作りたい人はたくさんいるわけでしょ。色んなソフトで意味もなく回転とか縮小をやっているのを見ると、「こいつら、バカか……」と思ってしまう(笑)。 ・勉強を学ぶんじゃなくて勉強の仕方を学べ! ゲームを作りたいんだったら、人に対するサービス精神を伸ばすことが大事です。例えば4人いて、シーンとなった時、最初に口を開く奴。そんな子が才能あると思うよ。 ぼくは落ち着きがない子とか、気の弱い子がゲーム作りに向いていると思います。気の強い人は相手の気持ちがわからないから、人にサービスできない。コンプレックスとかハンデがある子はいいよね。そんな子ほど相手に理解してほしいと思うものだから。 ぼくも子どもの時はぜんそくに悩まされたけど、ぜんそくもちはいいよ(笑)。普通の子が平気で遊んでいるところに行けない。自分を鍛えなければいけない。それで、自分を変えたという体験を持てる。 かわいそうだと思われてても、「そんな風に思われたくない!」というエネルギーを持っている子がいいですよ。 学校の勉強は将来のためには10パーセントくらいにしかならないと思うね。英語とか算数とかは必要になった時に覚えればいい。それよりも、自分がひとりぼっちで道に迷った時に、どうやって家に帰るかを考える方が大事です。 電車代をどうする?どの電車に乗ればいいのか?そんなことを自分ひとりで筋道を立てて考えるというのが大切だと思います。 先生も答えを知らないこと。誰も答えを知らないこと。でも、答えを出さなければならない。そんなことを一生懸命考えることです。 勉強を学ぶのではなくて、勉強の仕方を学ばなきゃ! ![]() ■宮岡寛さん ・とにかくハマった「ウィザードリィ」 大学生の頃はよくゲームセンターに行ってたね。インベーダーをやっつけたり、風船を割ったり……。でもその頃はコンピュータに興味はなくて、自分がコンピュータを持つなんて想像もしませんでした。 大学を出てライターをやっていた頃ですけど、当時一緒に仕事をやっていた土井孝幸さんの家にAPPLEII(アップルツー。パソコン)があったんですよ。で、「ウィザードリィ」があるというので行ってみた。ところが、当時の日本語マニュアルには間違いが多くて、すぐに死んでしまう。それでも徹夜して遊んでいたらハマってしまって、次の日には自分でAPPLEIIを買っていたんです(笑)。完全にゲームマシンとしてパソコンを買ったわけだね。 今「ジャングルウォーズ」とかを作っている木村初さんもうちに遊びにきて、2日も3日もいたのかな…。うちから帰ったら、すぐにAPPLEIIを買ったんだよね。 で、そんな「ウィザードリィ」仲間に堀井雄二さんがいて、ふたりして近所の喫茶店とかで「ウィザードリィ」のことをしょっちゅう話していたんです。 ぼくは麻雀とか色んな遊びにハマったことはあったけど、「ウィザードリィ」はゲームと日常とどっちが自分の人生かわからないくらいにハマってしまって、これほどハマる魅力はなんだろうねってことをよく話してましたね。 その堀江さんがエニックスで「ドラクエ」を作ることになって、手伝ってみないかと誘われたんです。ぼくも自分でゲームを作りたいと思ってましたから、この話に飛びついたんですよ。 ぼくと堀井さんはどちらもフリーライター出身で、その頃のゲームの中には文章が下手なものが多いと感じていたんです。だから、自分でつくるものはモンスターの名前ひとつでもこだわりますね。名前が決まらないと、イメージがわかないんですよ。 あと、ふたりに共通しているのは、RPGの主人公はなるべく色がつかない方がいいという思いだね。あまりキャラクターが強くて色がついちゃうと、「おれこんなセリフをしゃべるつもりはないのに……」という気持ちが出て、あらかじめ組まれているプログラムの中で遊ばれてる感覚になるでしょ。だから「自分」は何も話さずに、まわりの人たちの反応で「自分」が何を言ったのかを想像させようという制限をつけたんですね。 「ドラクエ」はIII(スリー)まで手伝って、それから「メタルマックス」を作ったわけです。 ・自分がプレイヤーとして面白いかどうかが大切 ぼくはあんまり理詰めでゲームを作らない方なんだけど、とにかく自分がプレイヤーだとして面白いかどうかということを、いつも意識するようにしています。 ダンジョンマップを作る時にも、ゲームの画面をイメージしながら、その中を歩くことを考えて作ってますね。だから、ここで曲がったら画面のはしに宝箱が見えてくるとか、そういったところに気を使いますね。 もういくつものダンジョンを作ってきたので、方眼紙の上にマップを書いただけで画面の大きさがつかめるようになってるんですよ(笑)。 個人的にマップが汚いのはいやなんですよ。絵としてバランスが悪いのを見るのが辛いんですよね。でも、プロデューサーからは叱られます。ユーザーはそんなのを気にしないから、早く作れってね(笑)。 ・これからのRPGはどうなるのか ぼくは「ドラクエ」シリーズをIIIまで手伝ってきたわけですよね。それで、新しくゲームを作るときは、なるべく「ドラクエ」と同じにならないように、違うものを作ろうという気持ちが強いんです。 でも、「ドラクエ」でベストだと思って作ってきたことを変えてしまうと、ゲームとしてわかりにくいものや、面倒なものになってしまう。そこが難しいところですね。 RPGの文法というのはだいぶ決まってきたと思いますね。でも、本当はそれを壊してしまいたいんですよ。 ただ、さすがに何年もかかって色んな人が作ってきたものですから、今あるのはほぼベストといえる形でしょう。それを変えるためには、表現の方法から変えなければいけなくなるんでしょうかね? 最近、RPGでは自由度というものがよく話題にされます。シナリオの形にしても、フリーシナリオとか、マルチエンディングって方法がありますね。あれがそんなにいいものだとは思わないんですよ。 物語に山場が4つあるとして、その順序を考えると、本当に美しいパターンはひとつしかあり得ません。それがひとつずれると、話の美しさが損なわれてしまう。だから、お話で感動させようと思ったら、自由度を求めるのは無理ですね。 ・最後に頼りになるのは君自身のセンスだ! これからゲームを作ろうと考えている人にこれは言っておきたい。ものを作る上では色んなことを知ってほしい。 例えば、プログラマーに「あの映画のこういうシーンみたいに……」と言っても、それを知らないとわからないわけですよね。「映画を見ろ!」とよく言われるのは、つまりそういうことなんです。 それから、同じひとつのゲームでも、それを絶賛する人からけなす人まで色々いますよね。だから、最後に頼りになるのは自分自身なんです。自分がいいと思うものを人がいいと思ってくれるかどうか。そのセンスを持っていることが大事なんです。 自分の作品だと思って作るのがゲームデザイナーなんです。周りから言われるままに仕様書を変えるのは、クリエイターの仕事ではありません。 ※「ファミコン神拳」のみや王さんです。みや王、ゆう帝(堀井雄二)、キム帝(きむらはじめ)、てつ麿(黒沢哲哉)で有名ですね。 次回最終回。すぎやまこういちさん、植松伸夫さん、他。 |
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by: * 2007/08/07 20:39 * [ 編集] | page top↑
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